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<私が、よいと思う(建築)住宅に対する基本的な考え方>
ここでは、施主・竹田氏が表明された「よいと思う(建築)住宅に対する基本的な考え方」に呼応しながら、それぞれのテーマに対し設計者である私の考えを述べさせていただきたいと思います。
- 豪邸であってはならない。
若輩である設計者の立場からすると、豪邸もやってみたいです。 f(^^;)
今までも規模の大きい住宅はいくつか設計に携わりましたが、残念ながら高価な材料をふんだんに使う事をお許しいただける施主さんには巡りあっておりません。
竹田さんの書かれた「頭を使った建築の方がはるかに美しい」は面白い表現ですが、当たらずも遠からずでしょう。設計者や建築主、工事関係者まで、皆の知恵を絞った建物は必ず良さがあるものです。敷地や家族、資金や希望などなど。さまざまな条件にはそれぞれに対するさまざまな解答が考えられますが、設計を進めると、なぜかそこには一つの解答だけが見えるように思えてなりません。
- ニセモノ(パチ物)材料は極力使わない。
素材にこだわりたいと普段は良く考えます。しかし、科学の進歩は目覚ましく(?)間近に見てもバチ物と気づかない様々な擬態工業製品があります。今まで見慣れたそれが、実は偽物だったなんて言うのはざらにある話。
ただ、必ずしもすべての製品が見分けのつかない一級品とは限りません。ヌメリとした、妙なテカリのある石目のサイディング。そこにはどれほどの魅力があるのでしょう。それが効果的に使われれば何も言いませんが、なかなかそんな気の利いた建物にお目にかかったことはありません。
- 質素ではあるが、貧乏くさくあってはならない。
安い素材や、安価な工法であっても、その扱い方によって見栄えは随分変わるものです。何事も工夫次第。
貧乏くさいかどうかは主観がありますが、小粋な物に仕上げたいですね。
- ○○風住宅は、良くない。
基本は自分風。施主さんとの対話の中で、世の中で一つしかないものをいつも目指します。
- 至れり尽せりであってはならない。
住宅にとって、家族や住み手にとって五感を刺激するものは何かと考えます。季節感を感じ、工夫を凝らしながら楽しく過ごせる、そんな住まいがこれからの住宅にはより必要ではないでしょうか。至れり尽くせりのまるで電化製品の様な住宅には魅力を感じません。
- ローコストでなければならない。
日本の住宅産業は流通のしがらみなどで、欧米に比べ随分と高価な物になっています。適正な価格で建物を提供するのは、建築産業に携わるすべての人間にとって常に課題となっています。
安い住宅、高い住宅いろいろあって当然だと思いますが、それぞれが適正であれば、ローコストと叫ばれる風潮が本来あるのがおかしい様に感じてなりません。
- 建物を作るにあたっては、関わってくれる全ての人は対等でなければならない。
対等かどうかは別にして、一つのプロジェクトを進めるに当たって、その関係者皆が積極的である環境作りが、結果として良いものを生み出すと信じます。
- 竣工=完成とは考えない。
住宅に本当の魅力が出てくるのは、出来たばかりの完成時ではなく、5年、10年と経過し住み手がその家に本当に馴染んだ頃ではないでしょうか。最初はどこかよそよそしいもので、当然汚れもなく奇麗なわけですが、人がいる風景に違和感を感じることがよくあります。
設計者には思いも寄らぬ使われ方・住まわれ方であったとしても、むしろそうしたハプニングにこそ私にとっては魅力を感じています。
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